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| 緋色の刻印 第五話 |
窓を打つ雨の音が変わる。 先ほどまでの激しい雨は、時が経つごとに少しずつ和らいでいく。 二人が脱力感にベッドに体を沈める頃には殆ど雨は止んでいた。
水差しの水をコップに注ぎ口に含む。 先ほど少し眠ったせいか、やけに目が冴えていた。 外は闇。 雨が上がり、雲の合間から白色の月が姿を現す。 ふと、滝は月明かりの下に誰かの影を見たような気がした。
◆ ◆
『約束』の文字は既に頭の中から消えうせており、滝は夢中で部屋を飛び出していた。 それでも夜の闇に息を潜めるように進む。 一階に降り、玄関とは逆方向の屋敷の奥へ進む。これほどの広い屋敷なら裏に勝手口が あるだろうと思ったからだ。 康平の部屋だろうと思われる扉の前を横切って、滝は予想通り屋敷の廊下の最奥にある 外に出ると丁度、自分達が使っている部屋の窓が真上に見える。 「確かこっち…」 窓の位置から方向を確認して、滝は左手の方に足を向けた。 屋敷の裏は広い庭というよりそのまま森に繋がっているような感じだった。 屋敷にそって左側を歩いていると一本の細い道が森の中に続いている。滝は迷うことなくその細い道を歩いた。 高い木々の間を抜けるように通る道を少し進むと、開けた場所に出た。 そこに広がる風景に滝は息を飲む。 一面の薔薇の園。 何故、こんな場所にこれほどの薔薇が……と思う。 色とりどりの薔薇は決して自然に生えたものではないはずだ。 ふと、視線を向ければ月光を浴びて薔薇の園で一人佇む人の姿が見えた。 思わず滝は木の影に身を隠した。 異様だと思う。 だが、とても美しい。 その人は薔薇に負けぬくらい整った顔をしており、闇に解けそうな黒い髪、黒い瞳をしていた。 滝は息を飲む。 ゆっくりと彼は手近にあった薔薇の花を一輪手に取った。 手折ると彼は花に口付ける。 彼の薄い赤色をした唇が花びらに触れた。 刹那――――――――先ほどまで瑞々しく咲いていたその花は見る間に枯れて塵となった。 滝はその光景に目を見張った。 花が枯れた。 それも一瞬にして――――。 だが、不思議と恐怖とか気持ち悪いといった類の感情は起こらなかった。 美しい。 禍々しさを感じつつ、その美しい光景に魅了される。 彼は別の花に手を掛けると、再び摘み取って唇に運んだ。 赤い唇が僅かに開く。 すると、やはり先ほどと同様にその花は枯れて散りゆく。 彼は恍惚とした表情を浮かべていた。 月の光が彼の白い肌を照らす。 先ほどまで真っ白な顔をしていた彼の頬に、僅に赤味がさす。 彼は三本目の花に手を伸ばした。 その瞬間、滝の足元でパキンと小さな音が響く。 少し身動ぎした際に木の枝を踏んでしまったのだ。 彼は音にビクンと体を弾ませ、周囲を見回した。 「誰だ」 彼の声が響く。 「すまない。盗み見するつもりはなかったんだが……」 隠れているのも潮時だろうと滝は木の影から月明かりの下に身を晒した。 「別にあやしいものじゃない」 危害を加えるものではないのだと示すように両手を挙げる。 彼は眉間に皴を寄せ滝を見ていたが、着用している見覚えある浴衣に「そうか」と呟いた。 「確か豪雨で困った客人を泊めていると言っていたな」 「貴方はあの家のものか?」 若い男。 歳は自分とそう変わらないだろう。 このご時勢だ。本来なら戦場に行っている年頃だった。 それが何ゆえ、このような人気のない場所にいるのか?康平の時にも思ったが、彼は足が悪かった。 ならば彼にも何か問題があるのだろうか?そう考えて滝はハッとした。さきほど彼は何をしていた? 魔物?妖といった方が正確か? もしかして自分たちはとんでもないところに宿を借りてしまったのかもしれない。 そう思いつつ、滝は目の前の美しい人から目を離せずに居た。 「指…」 滝の言葉に彼はハッとして、人差し指に視線を向けた。 驚きのあまり薔薇の棘で指を傷つけてしまったようだ。 傷ついた指の先から真紅の血が滴り落ちる。 滝は迷うことなく彼に近づくと傷ついた手をそっととった。 「な…」 指先に血の珠が浮いている。 滝はその赤に誘われるように唇を押し当てた。 傷口から菌が入らないよう、滝は彼の血を吸い上げる。 突然の滝の行動に彼は呆然としていたが……。 滝が傷口から血を吸い上げる様にハッと我に返った。
「や、やめろっ」
滝の体を押しやって、傷ついた手を胸に当てる。 心臓が激しく音を立てていた。 滝はペッと吸い上げた血を吐き出したが……唇に血がついていた。 吐き出したと言っても全てではないだろう。 そう考えると膝がガクガクと震え出す。 「おい、大丈夫か?」 紙のように白い顔をしている彼に滝は問いかけた。 彼の膝が折れて地面につく。 「お、おい」 滝はその細い体を支えようと手を伸ばした。だが、伸ばした手を叩かれ拒絶される。 彼の体がガクガクと震えていた。 「こ…へ…」 小さな声で彼が呟く。 それはあの館の主の名だった。 「康平…来てくれ…」 震える声で彼はそう康平を呼んだ。 刹那――――風が舞い上がる。 薔薇の花びらが風に煽られ空を舞い、滝は思わず顔を腕で覆った。 「何だ?今の風は」 それはほんの一瞬のことだったが――――――――。 「客人」 風が止んだと同時に後ろから声を掛けられた。 振り返ると滝の来た道の入り口に見覚えのある青年が立っていた。 その眼差しに刻まれているものは怒り。 彼は感情も露に滝を睨みつけていた。 「部屋からは出るなと言っておいたはずだぜ」 先ほどまでの丁寧な口調ではない。 康平はそのままゆっくりと滝の脇を通り、膝をついたままガクガクと体を震わせている彼に 顔を覗き込みやさしく問いかける。 「雅行、大丈夫か?」 雅行と呼ばれた青年は小さく頷くと震える手で康平の腕を掴む。 「血を……」 その言葉に康平は顔を歪ませ滝を睨んだ。 「あんた、こいつの血を?」 康平にそう問われ、滝は「ああ」と頷いた。 口の中に広がる血の味。 僅かだが…彼の血を口にした。 「分かった」 康平はそう呟くと雅行の肩をそっと抱いて立ち上がらせた。 「雅行、大丈夫だ。俺がいる」 「康平」 「俺がなんとかするから」 そう言うと康平は落ち着かせるように雅行に微笑み掛けた。 しかし、そんな康平の柔らかな笑みとは対照的に雅行は悲しみに顔を歪ませる。 「すまない」 小さく呟いて康平のシャツの胸元を掴む。 そんな二人の様子に滝の胸がチリッと痛んだ。
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