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| 緋色の刻印 第一話 |
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同時にぬかるんだ道に幾度となくハンドルが取られ、車内は激しい揺れに苛まれた。 「くっ」 滝はグッと唇を噛み締める。 隣の者に何かを話し掛けようと口を開けば、思わぬ揺れに舌を噛みそうになる。 普段から海の上で揺れには慣れているとはいえ、この状態でバランスを保つのは厳しい。 あげくに半時ほど前から空を閃光が駆け、轟音が鳴り響き始めたものだから堪ったものではない。 しかし、今この車には軍にとって重要な書類がある。 この書類をこの山を越えた峠の向こうにある港に停泊している船にいる上官に届けることは今の自分達の至上命令なのだ。 できれば今夜中に辿りつければと思ったのだが……。 山に差し掛かった頃から降り始めた雨は激しさを増し、すでに豪雨と言って良いだろう。 今の状況で山越えは正直厳しいが、野宿をするわけにもいかないし、民家などありそうにない山深くでは進む他はない。 だが幾度となくぬかるんだ大地にタイヤをとられ、車は歩くほどのスピードでしか前には進めなかった。 正直、このような状態では着くのがいつになることだか……。 おまけに日が暮れた暗闇ではなおさら危険だ。 「困ったな」 滝の隣で同じ海軍将校であり、同期の草加が苦笑いを浮かべた。 「良く笑えるな」 この状況下で。滝がそういうと草加は肩を竦める。 「気に障ったのなら謝るが」 「いや、別にそういうわけではない」 ただイライラするだけだ。 「そうカリカリしたところで仕方あるまい」 確かに草加の言う通りだった。焦ったところで雨が止まぬ限り状況がどう変わるというわけでもない。 「それに滝がそう気を張っていたら」 草加がフッと前の座席に視線を向ける。 今もっとも疲労困憊しているのは二人の前でハンドルを握る下士官に他ならないと草加は言いたいのだ。 滝もそれはそうだなと頷いてフウッと息を吐いた。 しかし揺れは続く。 先ほどから聞こえている嫌な音も気になる。 道はまっすぐの一本道で迷うこともないのだが……。 刹那、滝の目の前に閃光が走った。続いて大地を割るような轟音が静かな山に鳴り響く。 目の前がパッと明るくなり滝は思わず目を覆った。 それは運転していた下士官も同じだったようで――――彼は光に目を閉じたとほぼ同時に、 車がぬかるみに足を取られながら急激にスピードを落とす。 ハッと気がつくと前方に大きな木が横倒しになり道を塞いでいるのが目に入った。 ガクンを一際激しく揺れて車が止まる。 思わず唇を少し噛んでしまい、血がにじんだ。
行く手を塞ぐ巨木に滝は声を上げる。 運転手はすぐさま車から出ると雨に濡れるのも構わず木を押しやろうとした。 いや、三人の力を合わせてもこの雨のなか、この立派な木を押しやって前に進むのは不可能に思えた。 「先ほどの落雷だろうな」 滝と草加も傘を手に車を降りると木に近づき呟いた。 雷を受けたのは真っ直ぐたっていれば、このあたりの木々のなかでも高く太い大きなもっとも手前にある木だろう。 「これは厳しいな」 厳しいなんてものではない。 これでは前に進むのは不可能だ。 おまけに―――――――。 「申し訳ございません」 運転手であった部下が頭を下げる。 「先ほど木を避けようとして急ブレーキを踏んだ際にエンストしてしまったようで……」 車が動かない。 全く最低だと滝は呟いた。 これでは今夜はこの狭い車の中で一夜を明かすしかない。 「無線は?」 「それがこの気象のせいか繋がりません」 部下の言葉に滝は気が遠くなりそうになった。 とにかく朝になり天候が回復するのを願うほかない。 無線が繋がらなければ下山は徒歩でということになる。 まだまだ先は長い。 歩きでは明日どころか二日は掛かるかもしれない。 どうしたものか……。 暗く気持ちが落ち込んでくる。 すると草加がトントンと滝の肩を叩いた。 「あれ―――」 そう言って草加が進むべき方向とは別の方向を指差した。 「家?」 丘の上に木々に隠れているが家の屋根らしきものがみえる。 「本当だ」 部下もぼんやりと呟く。 「滝、ひとまずあそこへ行って雨を凌がないか?」 「しかし、あそこまでは随分あるぞ」 しかもあの家に通じるべき道は見当たらない。 「このまま山を登っていければ着けそうだ。ここでただ呆然と一夜を過ごすわけにもいくまい」 草加はそう言うと、一人、その建物に向かって歩き出した。 部下も困惑顔で双方の顔色を伺っていたが、意を決したように草加の後を着いていく。 「全く勝手なヤツだ」 しかし草加の意見も最もだと思う。 滝はぬかるんだ道を踏みしめながら建物を目指し、道なき道に足を進めた。
体は鍛錬しているし、反射神経も運動神経も悪いほうではなかったが、何しろ日頃は海の上にいて、 どのくらい歩いたであろうか? 一時間か? それとも二時間か? 辿りつく頃にはすっかり足先の感覚がなくなっていた。 しかし――――――。 「本当にこんな所に家があるとはな」 滝は思わずそう呟いた。 しかもその建物はホテルか何かを思わせるような大きな洋風の建物で、とても普通の民家には見えなかった。 入り口の門を断りもなく開いて三人は玄関まで足を進める。 玄関の前に来ると部下がドンドンと激しく扉を叩いた。 「すみません。誰がいませんか?」 雨の音に負けないくらいの大きな声で問いかける。 「すみません!」 しかし幾度となく叫んででも扉の向こうに気配を感じられない。 廃墟か? だがそれにしては不思議だった。 こんな山奥にあるというのにちっとも廃れた様子がない。 それどころか門からこの玄関までの庭も荒れてはおらず、ある程度まめに手入れが施されているような感じを受けた。 どこかの富豪老人が戦争の過熱化している状況に爆撃を受けそうな都市部から安全な山の奥へ逃げようと考えここに 「誰もいないのでしょうか?」 部下が心もとない声でそう呟いて、ドアノブに手を掛ける。 せめて鍵が開いていないか?と思ったのだろう。 だが――――彼がドアノブを捻ろうとした瞬間、扉がゆっくりと開かれる。 「どうかしましたか」 そう言って、そこに立っていたのは滝や草加とそう年の変わらぬ若い男だった。 |