◆第十話 〜蔓伸びし行方〜
『自室に持ち込んだ食器は、
速やかに返せといつも言っているだろう。』
と、その人形は食器を食堂に返してから、言う。
『帰ってきた洗濯物を積み上げておくのは、
だらしがないからやめろ。』
と、その人形は洗濯物をキチンとしまってから、言う。
『重要書類を机に広げたまま、居眠りをするな。』
と、その人形は…以下、同文。……ではなく、同様の文。
と言うように、世話をされる筈の人形が、
主人の世話まで焼いているという噂は、
一日と待たずして全てのみらい乗員に知れ渡っていた。
涼しい目元が印象的なその人形は、
本来、法外な価格で売買され、
恐ろしく手間のかかるプランツドールという種類の人形だったが、
こと、この人形に限っては違うようで、
自分の手入れは自身でこなし、
あまつさえ主人である男の身の回りの世話まで焼いている、
稀有な存在だった。
『…まったく、手の掛かる男だ。』
「最近は本当に忙しくて、部屋へは寝に帰るだけだったからな。」
『では、下士官に頼んでおけば良いだろう。』
「頼む前にお前が片付けるから、言う暇がねぇんじゃねぇか。」
『仕方ないだろう。汚い部屋は嫌なんだ。』
「分かったよ。部屋がキレイな科員に頼んで、
そっちへ移れるように手配してやるから。」
『………それは、駄目だ。』
「なんでだ? ベッドだって、俺のはお世辞にもキレイじゃないぞ?
そっちで寝起きして、
昼間だけ俺の頭に乗ってたらいいじゃねぇか。」
『私はプランツドールだ。
この芽を育て花を咲かせるのが、私に与えられた任務であり使命だ。
その為には、可能な限り主の傍に居て、
芽にエネルギーを供給しなくてはならない。』
「ふ〜ん、そういうもんなのか。」
『ああ。』
「それにしても、いったいどんな花が咲くんだろうな?
艦の上では生きた植物なんてねぇから、楽しみだ。」
『そう上手く行くとも限らない。途中で枯れたらそれでおしまいだ。』
「おしまいって…どうなるんだよ?」
『さぁ、それは私にも分らない。
壊れて動かなくなったり、もしかしたら消えたりするかもな。』
「じゃあ、逆に花を咲かせたらどうなるんだ?」
『それも分らない。何の為に咲かせるのかさえ、私は知らない。』
「…何の為かってのは、俺は分るぜ。」
『何だと言うのだ?』
「決まってるじゃねぇか。俺に見せる為だろ?」
『アンタに見せる為? 馬鹿なことを…。』
「そうでないと、花を咲かせるのが使命の人形に、
わざわざ主人を持たせる意味が無い。」
『………。』
「…なんてな。
けど、ホントはお前、全部解っていて言ってたんだろう?」
『………。』
「ホント、可愛いな、お前。」
人形は何も言わない。その表情さえ崩さない。
けれどその瞬間、人形の頭上にある、
まだ双葉を開かせたばかりの小さな芽が、
するりと伸びて新しい葉を茂らせた。
「ほら、育った。プランツドールが主人の愛情を糧に育つことくらい、
俺だって知ってたさ。」
本当は昨日、偶然風呂で一緒になった少女漫画オタクの科員から、
密かに得た情報だったが、とりあえずそれは伏せておいて、
角松は、向かい合うように自分の膝に座らせた人形の、
なめらかな頬の感触を、楽しむように指を滑らせる。
『もうそろそろ、気付く頃じゃないか? 出たほうがいい。』
「そうだな。」
『それに、長居するには苦痛なほど、ここは狭いし臭い。』
「それもそうだ、行くか。」
角松は後ろ手にレバーを下げ、
音を立てて流れる水音を背に、人形を抱えて歩き出した。
歩きながら人形を頭上の定位置に戻し、
鏡に映る自分と頭上の人形を眺めながら洗面台で手を洗う。
そして、今朝、世話焼きな人形に用意して貰ったハンカチを、
尻のポケットから取り出して、キチンと手を拭いた。
『遅いぞ、よーすけ! たかが排便に何分掛かっているんだ!』
『あんまり遅いから、腹でも下しているのかと心配したぞ、角松氏。』
「すまん、ちょっと便秘気味みたいでな。
預かって貰ってすまなかったな、康平。」
「危なかったな、洋介。
もうすぐトイレに踏み込まれるとこだったぜ。」
「あんな狭い所に三個もくっつけて入れるかよ。」
尾栗の両腕に抱えられた二体の人形を受け取りながら、
角松はそうぼやく。
他の乗員達と比べて見るからに立派な体格を誇る角松にとって、
艦内トイレの個室は皆に同情されるほど狭かったが、
時としてその狭さが役に立つこともあるのだということを、
この艦に乗る人間のほとんどが知らずにいた。
しかし、角松の頭の上でダンマリを決め込んでいる人形だけは、
密かに知っていた……らしい。
end.
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