◆第七話 〜愛し愛しと言ふ心〜

海軍参謀・滝栄一郎。

三十路を越えて幾年か経った今、彼は少年のような淡い恋をしていた。


滝が己の私室で佇むその場所には、
贔屓にしている家具職人に無理を言って作らせた、
天蓋付きの小振りなベッドが二つ並んで置いてあった。

本心を明かすと滝としては自分のベッドに寝かせたかったのだが、
目当ての相手からの激しい抗議の果てに、
無情にも草加の居る営倉で、
椅子の上にクッションを敷いて寝られた日には、
さすがの滝も相当堪えた。

そして件のベッドが届いてからは、その寝心地に惹かれたのか、
ようやくこうして滝の部屋で寝息を立ててくれるようになった。

愛らしい寝顔を存分に堪能した滝が、
ふと遠慮がちな視線を感じて後ろに目を遣ると、
長椅子に座った格好のままぺこりと頭を下げる男の姿が目に入る。

男は、滝の溺愛する二体の人形から、変態男の対策にと、
不運にも滝の私室で宿直を命じられてしまった、河本だった。



翌朝、わざわざ食事の席を自室に設けた滝の隣で、
小鳥のさえずりのような愛らしい声をした、
夢のように美しい貌の人形達が、こぞって傍らの男に語りかけていた。

『まずい。艦で食べた菓子のほうがずっと美味しかった。
 ここのシェフは炊飯長より下手糞だ。』

『信じられないほど不味い紅茶だ。
 抽出の温度と時間も間違っているが、茶葉の質も最悪だ。』

「しかし、尾栗三佐が持参した袋の中にあった紅茶や菓子は、
 既に底を尽きているのだ。我慢してくれ。」

尾栗が二体を連れてここへやって来た折に、
背中に担いでいた袋の中には緊急時の為の菓子や紅茶、
他にも二体がお気に入りのクッションや、
汚れを拭うための上質で柔らかいタオルや髪を梳くブラシなどが、
一式揃えて詰め込まれていた。

しかし、所詮は尾栗も、
数時間だけの外出という計算で持って来たものなので、
このように長く滞在するとなれば足りないものが出て来ても、
むしろ当然のことと言えた。

『ああ、早く艦に帰りたい。』

『そこのお前、いつになったら帰してくれるのだ?』

「お前ではない、栄一郎だ。何度も言っているだろう?」

『絶対呼ばないと言っている。』

『そんなの、どーでもいいから、帰らせてくれ。』

「何をそんなに拗ねているんだ、お前達。」

『拗ねてるとかそういう次元の話じゃない!』

『お前の傍には一秒たりと長く居たくないだけだ!』

「解った解った、あの艦から美味い菓子と紅茶を、
 調達して来いと言っているのだな?」

『『違う〜〜〜!!』』

滝の異常なまでのズレっぷりは既に皆の知るところとなっていたが、
怖くて誰も突っ込むことすら出来ずにいた。

素晴らしい出来の自ら動く人形を、
一目でも見てみたいと思う人間はたくさんいたが、
いくら美しいとはいえあくまで人形、その人形相手に、
本気でトキメいている男をマトモだと思う人間はいない。

その上、ここでも人形達は、
めいっぱい高飛車振りを発揮していたので、
いつの間にかほぼ全員が家来扱いを受ける羽目となっている。



まずいまずいと大不評の朝食を終えるとまた、
人形達にとっては苦痛の時間が待っていた。

滝の手ずから丹念に手入れをされるのだ。

服の中だけは断固として触らせずにいたが、
人形ゆえに髪や服などは定期的に埃を掃って貰わねばならず、
しぶしぶ手入れさせてやっていた。

「角松はあまり手入れをしてくれなかったんじゃないのか?
 たっくん。私ならいつでもしてやるぞ?」

『ふん、手入れは家来にさせるものだ。
 主がしたい言った場合は別だがな。』

「だったら、主人とはいったい何をするものなんだ!?」

『…我々を傍に置いて愛でるのだ。
 可愛いとか愛しいとか言って、撫でてくれるだけでいい。』

「そんなことなら私がいくらでも…っ!」

『お前のは絶対いらんっ!』

「だいたい、お前達をここへ置いて行くような男が、
 そんなことするわけなかろう。」

『してくれなくても…傍に居てくれるだけでいい。』

「傍に居ないじゃないか。」

『…うるさいっ!』

手入れを終えても離し難く、いつまでも頭を撫でていると、
白い軍服の人形は、忌々しそうに滝の手を払って、
椅子から降りてしまった。

滝は溜息をついたが、気を取り直して、
今まで放っておいたもう一方の人形の手入れをしようと手を伸ばす。

すると、濃紺の制服にエプロンをした人形は、
すっと手をかざして滝の動きを静止する。

『前にも言ったが、俺のメンテナンスはお前には出来ない。』

「解っている、ミースとか何とか言うのが、
 どこぞから来ると言っていたやつだろう?」

『そうだ。』

「埃を落とすだけだ。」

『そんなことをしている暇があるなら、艦へ帰してくれ。』

「…そう言うな。」

『ここに居ても俺達はむなしい。…主人の許に帰りたい。』

「………。」

胸が締め付けられるような切ない声だった。

滝は浮き立った気持ちが萎んでいくのを感じる。

主人を選ぶという銘有りの人形を、
心のどこかで所詮は物だと思っていた自分があるのも事実だった。

心があるのだ。ならば自分のしていることは…。

そこまで考えて、滝はしばらく、
窓の外を眺めるように物思いに沈んでいたが、
やがて席を立ち、言葉もないまま部屋を出て行ってしまった。

二体の人形達は黙ってそれを見守っていたが、
完全に気配が遠のいたのを確かめると、
人の悪い笑みを浮かべて、ささやくような声で密談を始める。

『これで、迎えを待つまでもなく帰れそうだな。』

『恐らく今頃、我々の帰る手配が成されていることだろう。』

そして、押して駄目なら引いてみろ…だな、と、
美しい人形達は密やかに嗤う。

滝栄一郎、恋破れた瞬間だった。

end.      

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